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理系研究室は鬱の巣窟 〜新しい環境編〜

研究室でメンタルをやられていたものの、研究室転籍という新しい道が開かれた僕はだいぶ心が落ち着いていました。

来年度から研究室を転籍することを教授に伝えると、「君は何もわかっていない」ということや皮肉も言われました。

研究室のメンバーも人がいなくなることに少なからずショックを受けているように感じました。

しかし、毎日徹夜でNMRの測定条件を見つけ出したり、副生成物が何かわからないのに単離できないことでずっと怒られることがなくなると思うと清々しい気持ちでいっぱいでした。

研究室を変えると決めた7月から翌年の3月まで僕は、自分の反応でできる7種類の副生成物の同定を行うことになりました。

7種類もの副生成物を特定するのは非常に苦労しましたが、NMRやその他の分析装置、論文を調べることでなんとか全ての副生成物を同定することができました。

副生成物の同定で半年以上時間をかけたのかと思う人もいるかもしれません。

しかし、「分析機器」と「知識のある人」がいない環境では研究は思うように進まないことを強く感じました。

(副生成物は目的化合物と沸点が同じなのに蒸留で分けさせようとする指導者や蒸留装置が最初から故障していて使い物にならなかったなど)

だからこそ、思い切り研究をしたい人は国立の大学院に進学するべきだと思います。

話は戻り、何が起きてるか分からない自分の反応でしたが、副生成物を特定することができたことで、反応系で何が起こっているのかはわかるようになりました。

副生成物の同定だけで1年かかってしまいましたが、全くわけが分からない状態からここまで来れたことに僕は達成感がありました。

本音をいえば、自分の反応を完成させたかったという思いもありました。

けれども、メンタルをやられてしまうと研究どころか人生をも棒に振ってしまうと気づくことができたので、納得して次の研究室で頑張ろうと思いました。

そして、3月から新しい研究室で僕の新しい研究生活が始まる・・・はずでした。

結論からいうと僕は転籍できませんでした笑

なんと教授と学科長の連絡がうまくいっておらず、転籍は認められないというものでした。

なんでやねん!!あんたいつも報連相しっかりしろって言うてるやん!!!

生まれも育ちも関東の僕ですら思わず関西弁が出てしまうくらいに衝撃でした。

まあ、教授にとって学生の進路なんてものは自分にとって何にも関係がないので、そのようになっても仕方ないのかもしれません。

いつもは自分の意見が絶対の教授がこの時ばかりは、僕に対して謝罪をし、研究室に戻って来てほしいと言って来ました。

多分、本心から謝罪をしていたわけではなく、学生に不満を持たれ学内の研究室に出ていかれるのはプライドが許さなかったのでしょう。

ただ、自分の研究を完成させたいという思いもあり、僕は元の研究室に戻ることになりました。

ただ、一回辞めると言ってから、教授からの無茶な要求がかなり減りました。

なので、以前のようにメンタルがやられるということはなくなりました。

そして、修士1年目の6月、自分の研究が成功しました!!

今までは教授のいうことを聞き過ぎていました。

けど、研究室2年目になり、教授が必ず正しいわけではないことが分かり、自分のアイデアが出てきたことがうまい方向に進みました。

あのまま、続けていても多分無茶な要求ばかりだったと思います。
あそこで研究室を変えることができたら研究を成功させることはできませんでした。

だから人生って分からないなって思いました。

このブログを読んでくれている人の中には、現状に悩んでいる人もいるかもしれません。

ただ、どんな環境であっても前向きに頑張っていれば、いい風が吹いてきます。

辛い出来事に耐えた経験は必ず未来に活きてきます。

なので、ずっと辛いことが続くと思わず、未来の自分を助けるために今を頑張っていると思うともう一踏ん張り頑張りませんか。

僕もまだまだうまくいかないことばかりですが、経験を糧に少しでも自分を成長させることができるように今を頑張ろうと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。