そんなこんなで僕は研究室にいけなくなってしまいました。
今まで一度も学校をズル休みしたこともなく、小学校から高校までサッカーに毎日励んできた僕が学校にいけなくなると思いもしませんでした。
そんな僕が研究室にいけなくなってしまった理由を考えてみると以下の2つのことが主な要因だと思います。
1.研究室に人を助ける余裕がある人がいなかった
2.指導者は相手を思う気持ちを持っていると思っていた
研究室に人を助ける余裕がある人がいなかった
ブラック研究室というものが生まれる原因はこれが大きいと思います。
というのも教授になる人というのは、アカデミックという限られた世界しか知らない人がほとんどです。
アカデミックと一般企業の大きな違いはトップの横暴が許されるかどうかだと僕は思います。
トップが横暴だと下の人たちは精神的にも追い込まれて、他人に構っている余裕がなくなってしまいます。
僕の研究室はまさにそうでした。
何故、アカデミックではトップの横暴が許されるかというと、環境が極めて閉鎖的だからです。
一般企業で働くサラリーマンのほとんどは社長にならないので、自分が一番上の立場になることはほとんどありません。
なので、常に誰かが自分の上に立っており、身勝手なことはできません。
仮に社長になっても株主やお客さんの声を無視することはできないので、トップに立ったとしても自分勝手な振る舞いはできません。
しかし、アカデミックは違います。
一般企業と違い、お客さんもいなければ、組織の中では社会的に弱い学生に囲まれて仕事(研究)をします。
それゆえ、自分の研究室を持った教授は、多少傲慢な振る舞いをしても許されてしまいます。
確かに一般企業にもワンマン社長のような人もいるかもしれませんが、あまりにも横暴な社長の会社では社員は離れていってしまいます。
一方で、同じ辞めるでも、会社を辞めるよりも学校を辞める方が難しいと思います。
何故なら、せっかくお金を払ってきた学校を途中で辞めてしまうと学歴が得られなくなってしまうからです。
なので、学生は就職のためにもやめることができません。
いかに教授が理不尽でも自分の未来のために我慢をし続けなければいけません。
学部4年の時の僕は、この仕打ちをあと2年も受けたら精神的に崩壊してしまうと思いました。
指導者は相手を思う気持ちを持っていると思っていた
僕の高校時代を振り返ると、いい恩師に恵まれてました。
休みの日でも質問に答えてくれる先生や自分の些細な頑張りに気づいてくれる先生など困った時、落ち込んだ時に助けてくれる人がたくさんいました。
部活では理不尽なこともありましたが、人間的に否定されることはありませんでしたし、その理不尽を乗り越えることで成長を感じることが出来ました。
なので、厳しさには慣れているつもりでした。
厳しいと言われる研究室でも、それは学生のことを思っているからだと思っていました。
しかし、学生の研究の内容を把握しようともせず、身内に不幸が起きても学生ではなく研究のことを心配する教授に出会い僕の考えが間違っていることに気づきました。
自分の利益のことだけを考え、自分の思い通りにいかない不満を、立場の下の人間にぶつけるという指導者がいることを知りました。
そして僕は研究室転籍を選んだ
このままでは自分が自分でなくなる
そう思った僕は、自分の生きている意味を改めて知るために、自分のルーツを辿ることにしました。
自分の母校、恩師、同級生に会いに行き、自分がどのように生きてきたかを再確認していきました。
その中で、自分が何を大切にしてきたか、自分がどんな人間か、それぞれの立場でみんなが頑張っていることなどを知ることが出来ました。
様々な人に相談する中で、「研究室転籍」という手段があることを知り、僕は研究室転籍を決意しました。
分析装置の件でお世話になっていた他の研究室の先生にその旨を伝えたところ、二つ返事で了承してくれました。
その先生がなんのためらいもなく、二つ返事でOKしてくれたこと、そしてそのことが僕の心のモヤモヤをスッと無くしてくれたことは今でも忘れません。
不幸中の幸いですが、僕は研究室の教授以外の人たちには恵まれていました。
研究室の悩みは研究室の外で考える
研究室でメンタルをやられてしまった僕の考え方は負のスパイラルにハマっていました。
何度も言うようですが、研究室は非常に閉鎖的な空間です。
そのため一度悩んでしまうと、「自分はダメな人間だ」「生きていても仕方がない」とどんどん暗い考え方になってしまいます。
しかも、ブラック研究室ではみんな余裕がないので、困っている人を助ける余裕がありません。
だからこそ、研究室の外の人に悩みを打ち明けるのは非常に有効です。
いろんな環境の人に相談すると思いがけないところで解決策が見つかることもあります。
僕はこれで助かりました
と言いたいところですが、まさかのドンデン返しが待っていました。
それはまた今度書こうと思います。