どうもおっくんです。
研究室で技術を磨き成果を出して就活に成功、希望の会社で研究職で生きていく。
理科好きな理系学生はこのような生活を夢見て研究室を選ぶのではないでしょうか。
僕もそんな理系学生の1人でした。
ただし、ブラック研究室はそんな理系学生の夢を簡単に打ち砕きます。
そして、研究室に行けなくなってしまいました。
しかし、周りのサポートなどもあり、なんとか大学院を修了し、就職することができました。
そんな僕がどのような経験をし、どのように乗り越えていったかを書いていこうと思います。
今、研究室での生活に悩んでいる人の参考になれば幸いです。
これがブラック研究室の教授様だ!!
使えない学生は人間じゃない
教授様にとって学生の成長なんかどうでもよくて、自分の研究を進めてくれることが大事です。
多分どこのブラック研究室もここは同じではないでしょうか。
研究室に配属され2ヶ月もすると僕にもテーマが与えられました。
僕の研究は新規テーマということもあり、先輩たちはおろか、教授も僕の扱う化合物について詳しくないという状態でした。
しかも、僕の作る化合物はGC、GC-MSでカラム内に残ってしまうので、僕が使える分析装置はNMRだけでした。
ただ普通のNMRだけの評価では、何ができているか全くわからないので、多核NMRという違う手法で測定しなければいけませんでした。
しかし、研究室内どころか学内でも詳しい人はいませんでした。
(これが中堅私立大の弱さです。とにかく人材がいません。そう言う意味でも学校のレベルは大事です)
なので、業者を呼んでもらうことにしたのですが、僕の教授は何もしません。
「他の研究室の教授に業者を呼んでもらって教えてもらえ」とだけ言い、僕は学内で誰もしっかりと使えない分析手法を学ばなければなりませんでした。
分析装置を使っている人はわかると思いますが、分析って測定条件が決まっていれば測定って簡単ですが、測定条件が決まっていなければ自分で条件設定をしなければいけません。
条件設定に時間がかかり、研究が進まない僕に対して教授のフラストレーションはたまる一方でした。
僕がアドバイスを求めても、「業者に聞いたのだからわかるだろ」とだけ言うのでとても苦労しました。
これに加えて、僕の化合物はカラムで単離できません。
なので、蒸留で精製するのですが、研究室の蒸留装置では論文の蒸留条件を満たすことができず、十分な単離ができませんでした。
これについても教授から、蒸留で単離できないのは君の実力が足りないからだの一点張りで何もアドバイスをくれませんでした。
結局、研究を進めていくと僕の反応では目的化合物と副生成物の沸点が一緒でした。
沸点が同じ化合物を蒸留で分けるスキルをこの目で見て卒業したかったですね笑
そんなこんなで僕の1年目は研究をするための分析装置や実験機器を使えるようにするところから始まりました。
同期たちが色んな化学的な検討をしている中、自分だけがなんでこんなことばかりやっているんだろうと思ってました。
親が死のうが研究を進めろ
流石に、これは言われてはいませんが、扱い的にはこんな感じでした。
というのも僕の父親は研究室に配属された年の5月に病気で亡くなってしまいました。
その当時、初めての彼女にも浮気され、研究もうまく行っていなかった自分にとって、身内の不幸というものは心に堪えるものがありました。
葬式の準備で色々とバタバタしている最中、僕にメールが入ってきました。
「来週の業者との打ち合わせの準備はできているのか」
この時は「人ってここまで他人に対して冷たくできるんだ」と驚いた覚えがあります。
しかも、葬式がひと段落して研究室に復帰した次の週の発表で実験成果が出ていなかった僕に、
「君の取り組み方が悪いから研究が進まないんだ。こんなんならテーマがうまく行ってない他の学生に君のテーマを任せた方がよっぽどいいよ」というお言葉をいただきました。
彼女や父親を失い、研究こそは頑張って成功させると決めていた僕にとって、その研究活動すら否定された時は自分の生きている意味が分からなってしまいました。
そして僕は学校へ行けなくなった
皆さんはインフルエンザにかかったことありますか?
僕は3回くらいかかったことがあるのですが、ベッドから全く動けなくなるくらい辛いですよね。
僕が学校に行けなくなった時の朝はそんな感じでした。
もちろんインフルエンザではないので関節痛や熱はありません。
ただ、インフルエンザ特有の動けないようなだるさがあったのを覚えています。
それでも、気のせいだと思い、いつも通り原付で学校に向かいました。
しかし、学校の途中の道で急に吐き気が止まらなくなりました。
心臓もバクバクするし、吐くものはないけどずっとえづいている状態になってしまいました。
流石に、これはおかしいと思い、僕は家に引き返し研究室を休みました。
母親や妹もズル休みをしたことがない僕が急に帰ってきたのでとても驚いていたのを今でも覚えています。
そして、僕は研究室に行けなくなってしまいました。
次回はそんな状態から僕がどうしたかを書いていこうと思います。